
2005年リッジウェイ リポート
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2005年リッジウェイ・ランデヴーは2月24日から27日まで行われた。 |
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三重の松田さん、東栄の内藤さん、岐阜の太田さんの3人は名古屋からデトロイトを経由してフィラデルフィアからトラックでリッジウェイに向かう。 |
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会場ではチェンソーの音が鳴り響いている。永瀬さんらはすでに会場へ到着していた。 |
24日は朝食を食べて早めに会場へ向かう。雪の積もった緩やかな下り坂を10分ほど歩くと会場に着く。
ブライアン氏がトレーラーを引いてやって来た。少し遅れて玲さんら3人もやって来た。
昨日はフィラデルフィアでトラックの修理に時間がかかり、かなり遅くホテルに到着したようだ。
トラックから荷物を降ろしてチェンソーを組み立てる。ハスク372のスターターロープを引くと快音が轟いた。
私は「泳いでいる2匹の鮭を狙う白頭鷲」を彫ることにした。
丸太の表面に付着している砂や、めり込んだ石に刃が当たりすぐに切れなくなり午前中は目立てに半分費やした。
午後はデニス・ビーチ氏のカービングデモを見学した。
大型チェンソーを両手に持ってカットする姿は迫力満点で飛んでいる鷲を40分足らずで仕上げた。
この日の夕食会はムースで行われシャーリーさんの弟のジャック氏と昨年お世話になったジュディーさんも出席された。

25日は夕方エルク・コート前広場で平和の祈りが行われる。
そこに毎年マスター・オブ・チェンソーのメンバーでもあるウェイン氏が中心となって会場を氷の彫刻で飾る。
アイスカービングは誰でも自由に参加をする事が出来のだが、私達はウッドカービングに専念した。


そして皆夕方までに6個のメインカービングは仕上がった。
しかし三宅君がきれいに皮を剥いた丸太はそのままの状態で残っている。
彼は昨日から熱を出してシャーリーさんの家でずっと寝ていたのだ私達は三宅君が明日カービング出来る事を願った。
夕食会はエイローズカフェで行われ、ジュディーさんもみえた。ジュディーさんは私にカーハートのジャンバーをプレゼントしてくれた。
カーバーたちがボロボロになるまで着ているワークウェアーで私はとても気に入った。
私の右隣に座ったのはツリー・パイレーツのサイモン・クロス氏だった。仲間のA.D氏を呼んで写真を見せてくれた。

彼らは英国のカーバーで今回素晴しいメモリアル・モニュメントを製作した。
モニュメントは方位を考慮したもので柱の下に青龍、朱雀、白虎、玄武の4文字を翌日私達に刻ませてくれた。

26日は朝から快晴だった。
午後はオークションが行われるので、仕上がった作品は朝からは次々とステージに運ばれる。
三宅君の熱は下がったが無理をせずにオークションの見学だけすることにした。
残された丸太は切り分けて皆で幾つかの作品を仕上げた。私はオークションが始まるまでに小鳥と馬を彫り上げた。
昼近くになってリッジウェイ在住の百合子さんがやって来た。

彼女は毎回ボランティアで通訳を務めてくれているが今年はご家族の事情でなかなか来る事が出来なかった。
電話では毎日話していたが、会うことが出来て本当によかった。ナチコさんも昼近くにやって来た。
彼女もリッジウェイに在住していて、毎回おいしいケーキを焼いて持ってきてくれる。

220個近くのオークションは昼すぎに始まり夕方まで行われた。
朋奈のクマは420ドルで落札された。私の鷲は970ドルだった。私たちは2人とも昨年よりアップしたのでとても喜んだ。

最後の夕食会は昨晩と同じエイローズで行われ、メイク・ア・ウィッシュによって夢を叶えた少年がスピーチをした。
その後バンド演奏やダンスが行われた。

翌朝は8時30分からファイアーホールで朝食だ。
この日の朝はとても寒く、迎えに来てくれた百合子さんの車は室外温度がマイナス18度をさしていたそうだ。
シャーリーさんとニコルは礼拝に行かなければならないのだが、私たちをファイアーホールまで送ってくれた。
涙を浮かべた二人との別れはとても辛かった。シャーリーさん、ニコル、掛替えのない5日間を過ごさせてくれて有難う。
リックさん、リズさん、そしてゾーイさんお世話になりました。ブライアンさん、ジェーンさんいろいろと道具を貸して頂き本当に助かりました。

ザックは昨年10月のナイアガラコンペの時から思うとずっーと大きくなって、カービングも頑張っていた。
百合子さん、ご家族が大変な時なのにいろいろ御世話になりました。なちこさん、美味しいケーキを有難う。
松田さんら3人はトラックでフィラデルフィアへ戻り、私たち4人は英国のカーバー達と共にバスでピッツバーグへ戻った。

こうして2005年のリッジウェイ・ランデヴーは終了した。

